小さな窓辺の向こうに降り注ぐ雪。そうこれは、私の小さな小さな心の涙、毎日毎日降り注ぎ流れ落ちる心の涙永遠に、行く日も来る日も流れ落ちる、悲しい気持ち何も悪い事してないのに…
それは、ある日突然始まった。
中三の内科検診で言い伝えられた病名「側弯症」。私には、聞き慣れない言葉だった。
自分の体と向き合う為、そう絶たる戦いの日々が始まった。
それまで普通に送れていた、友人との徒歩通学も出来なくなった。
体にコルセットをしなくてはいけなくなった為、重い荷物が持てなくなり、一人ぼっちの自転車通学、今まで友人と一緒に楽しくおしゃべりをしながら通っていた通学路も風を感じながら、自転車で通学する日々、みんなで和になり一機団結して行っていた、体育や中学校生活最後の体育祭も、見学と応援のみ残念ながらも、成し得た事は、クラスみんなのサポートと応援、精一杯頑張った。
私は、みんなの中心となりみんなを引っ張る事が大好きだったので、体育は出来なくてもその分、今までの体育祭応援副団長とゆう立場と経験を生かし、悔いのないように心の底から大声で応援をした。
これは、体育の見学という私の立たされた立場から成し得た私の宝物。コルセットをしていたので、歩き方はとてもいびつだったので、人の視線はたびたび感じる事もあったけど、そこに必ず理解者はいる。その少ない可能性を信じていれば、いつか必ず栄光の道へと繋がる事を信じ、私は歩んで行った。
そんな私も、高校受験という大きな壁を乗り越え、はれて高校生になった。
側弯で病魔と戦いながらも、高校生活をenjoyする予定でした。
私も、思春期に入り成長と共に体も成長してきたのかなと思っていた。
偏頭痛が始まり、やがて段々視野がかけてきて、困りはて覚悟して脳外科の扉を開いた。そこで、私が新たにおかされた病名「下垂体腺腫」、耳にもした事のない病名、病院からの帰り道、泣き尽くしながら家路へとたどりついた。
かなり頭の病気は、進行していて絶体絶命の状態だった。
楽しく送るはずだった高校生活が、そこからは一転し、長き入院生活が始まる事となった。病気の都合と、手、足、唇が肥大し足のサイズが大きく靴を選ぶのが困った。
思春期ともあり、体が成長し側弯の角度も36度位〜60度位まで進行してしまい、今までお風呂以外真面目にしていたコルセットでは駄目になり、新しいコルセットになった。新しいコルセットは、今までのコルセットとは違い首から骨盤までガッツリしなくてはいけなくなった。
そんな矢先、不幸がたび重なり行われた頭の手術、5時間にも及んだ、私の人生初の大手術。怖さと恐怖に日々耐えながら、なし得た事は人のぬくもり、2ヶ月半という長き入院生活でしたが、友人が心配してお見舞いに来てくれた事が、私の心のバンソウコウでした。
首からコルセットをしている私の方をジーッと見て、ひそひそ話をしたりしてる人は居たけど、友人が私の心に貼ってくれた優しき心のバンソウコウは、今でもはずれない私の心の思い出、まわりから変な目で見られても、私の目に目薬を指して洗い流してくれる優しい友人は、どこにでも必ず居る、そう人を信じていれば、必ず道は開かれる。
頭の病気は、30年前位の医学では、全部とり除く事が出来ず、再発と転移を防ぐ為、14年程前までは1日朝夕1錠ずつ飲んでいた薬は、今では医学が発達し、週1回1錠飲んだらいい新薬が出来た。それまでは、薬の副作用で毎日吐き気に苦しんでいたが、今は、新薬が出来私の胃も大分楽になった。
医学が発達するのもとっても大切だと思う。今まで薬の副作用で苦しみ心の中でもがき苦しんでいても、見た感じでは、まわりには気付いてもらいにくいのが現状だ。
でも、優劣な医学者により新薬が日々開発され、世に出る事が、何よりも心の頓服だ。世の為、人の為という言葉は、とっても大切な言葉だ。人助け、人命救助共にいつどこでおこるか分からないけど、勇気を振りしぼり一歩踏み出す事がとっても大切だ。
心に傷つき、塗られた赤ちんは、痛くてしみるが、一歩踏み出す勇気により徐々にいやされると思う。一つずつ経験し色々と積み重ね、なし得て行く事がやがて成功となり人生の宝となる。言葉は魔法の宝物、一人の何気ない小さな言葉がやがて人の心の支えとなり人生をたて直すきっかけにつながるに違いないはずだ。
私は、長き入院生活で、人のぬくもりも感じとる事が出来た事に感謝しています。
手術後、痛みと高熱に耐えもがき苦しみながらも、献身的に24時間体制で私の看護にあたってくれたみんなに感謝です。病気の影響で巨人だった私は、人一倍体が大きく、手は人の2倍位大きく唇はたらこ唇で人目を感じる事は多かったけど、手術して視野も回復して明るい未来も見る事が出来るようにして下さった方々には、深く感謝いたしております。
我慢すれば、やがていい景色は見れる時が必ずおとずれる、くもった景色からいい景色を見るのは、とっても晴れ晴れしいです。悪口を言われても、言い返すのも大事、話し合うのも大事、常に負けずくじけず心を広く待ってればやがて世界は広がります。私は人とおしゃべりするのが好きで、高校生の時は、ボランティア部と琴部と写真部に入部してました。
長き入院生活も終え、退院してからは、ボランティア部から老人ホームに訪問させて頂いた時に感じたのは、入所されてる方の心あたたかき満面の笑顔、笑う門に福来るという言葉の通り、明るい笑顔で私達を迎え入れて下さいました。
みんなで輪になり、おしゃべりしながら楽しいひと時、人生みんな色々とあっただろうけど、何一つ嫌な顔も思い出す事もなく得た明るく楽しい時間、生きてれば必ず楽しい老後が来ると信じ、私も元気に生きようと心に誓い帰りました。
私も、高2になりボランティアに深く興味を持つようになり、夏に行われた「24時間TV愛は地球を救う。」の受け付けに参加しました。ステージの組み立てから会場の運営のお手伝い、みんなが、人の為にと思って貯めて下さった心温かき募金、この募金が世の為人の為のお役に立ち一人一人の命をつないで行く愛の形としての私達受付嬢のサポート、手から手へ通して感じ得る事が出来ました。
みんなが日本の和となり、世界に羽ばたいて行く愛の募金、心を信じ人を愛し最後までまっとうした人生を生き延びてほしい。小さな小さな体から、大きな大きな体へと成長するのは、長く長く感じれども命のともし火は一生続いて欲しい、いつまでもいつまでも。
私は、その後側弯が一段と進み角度が90度近くまで進行し、少しの階段でも息切れが始まり始めたので、手術に踏み切りました。背中をまっぷたつに切り開くのは凄く嫌で勇気がいったけど、成せば成る成さねばならぬ何事もと言う言葉を信じ、私の生命力を延ばす為、心を鬼にして踏み切った。10時間に及ぶ大手術、手術を無事終え目を開けた瞬間から始まった激痛、今でも忘れない、手術後味わった2週間の寝たきり、トイレもベットの上でしなくてはいけなかったけど、優しく私について下さった人に感謝です。
寝たきりの私に、絶えず声をかけてくれた同室の仲間、コルセットをしてるので人からジロジロ見られ、かなり苦痛な思いをして心行き詰まった事もあったけど、同室のお友達は苦しむ私に絶えず「頑張れ。」と声をかけてくれました。ほんの4文字の言葉でも、力強き言葉、言葉一つで生き延びる言葉と心の栄養素、私を産んでくれて育ててくれた両親に感謝です。
3ヶ月半という長き入院生活を終え学校生活に戻り、友人が心の支えとなり私に生きる力を優しく差し伸べてくれました。何度も入退院を繰り返し、身も心も弱っていた私に、優しく手を差し伸べてくれた人に感謝です。何よりも私の特効薬です。
そんな私も、高3になり、昔から興味のあった写真部に入部しました。
写真は、そのままの風景を写し出し、一生の思い出に残ります。
写真も、嘘をつきません。
ありのままの姿です。
そんな、写真を写すのが私は、大好きです。
初めて行った写生会で、写した物は、私の思い出、頭の手術をしたお陰で見る事が出来た私へのご褒美に一枚「カシャ。」
初めて応募した写真のコンテストは何と入選し、みんなの前で初めて表彰状を頂いた時の嬉しさは今でも私の心の栄養素。その後も嫌な事を言われたり、多少イジメはあったけど初心忘れるべからずで、嬉しかった時の事を思い出すと心が和み、いつかは嫌な事は忘れ、愛は心の特効薬となり、よしもう一度、生き延びようと思い繰り返し繰り返し生きてきました。
私も、高校を卒業し社会人となり、主人と知り合い、結婚が決まり、二人で鳴らしたウェディングベル、みんなに祝福されながら歩いたバージンロード、チャペルで手をとり合い愛を誓った幸せの瞬間、そこにひかれた幸せへの道、生きて行くのには大変な事もたくさんあったけれども、これからは二人でなしとげて行く日々、苦労も半分こ、幸せも半分二人で一つの家庭を築き未来への道へとダッシュ、今ではこんな私でも2児の母であり妻として、子育てと家事に奮闘中です。
私が45年と言う短くて長い人生、生きて来た中で感じとれた幸せは、ほんの一瞬。これからは、家族みんなで手を取りあい、助け合いながら共に立ち向かい、成功して行けたらなぁと思います。今までは、色んな人に助けてもらい育ててもらってきましたが、これからは、私も人を助けながら生きて行けたらいいのになぁと思います。
何文初めの一歩を歩み出し、人とのつながりを忘れずに、勇気をふりしぼり人との心の器となる事が、時には大切だと思います。
私の人生、振り返れば、たくさんの人からの愛情に包まれ、時には励まされ幸せな日々だ |